プロフィール

昭和35年金沢大学医学部卒業、名古屋大学整形外科に入局。昭和47年4月現在地に開業。


資格

医学博士。日本整形外科学会専門医、リウマチ医、スポーツ医。



趣味

ゴルフ、写真撮影、旅行。


その他

尾車親方(元大関琴風)の現役時代主治医であった。その縁で現在も交流が続いている。

 

院長のページ

腕の痛みと手のしぴれを訴える中年の婦人が診察室に入って来た。
患者「先生、私はこの十年くらい毎晩のように夜中から明け方にかけて、両腕が痛んで、また指先がしびれて熟睡出来ません」

医師「そうですか。それだけ聞いただけで診断がつきました」

患者「先生、そう簡単におっしゃいますが私はそのために長い間苦しんで参りました。首の骨から来る神経痛だとか、動脈硬化によるものだとか自律神経失調症だとか、いろいろ言われて治療してきたのですが一向に良くなりませんでしたよ。朝方手がしびれて痛いと言うひと言で診断がついたなんて信じられません」

医師「無理もありませんが、あなたの病気は手根管症候群に間違いないでしょう。この病気の初発症状として極めて特徴的なことはこの夜から朝にかけての腕の痛みとしびれを訴えることなのです。もし患者のこの訴えを、医師が聞き漏らしたとしたら、まず診断は難しくなりますね」

患者「で、原因は何ですか」

医師「体質にもよりますが、農家の人たちやキーパンチャー、その他手を日常多用する人に発症しやすいのです。お産の前後にも発症することもあります。手指を使いすぎると、指を曲げる腱がはれてきて、ちょうど手首のところで母指から薬指の知覚神経を圧迫するようになります。そうなりますと手指のしびれのみならず、反射的に腕から肩の方にかけてかなり激しい痛みも感じるようになるのです。はじめのうちは朝方だけなのですが、症状が進むと昼間でもしびれたり、痛んだりしますし、指先の細かい仕事、例えば針仕事が出来なくなったり、自転車などにも乗れなくなります」

患者「先生、私も全くその通りなんです。昼間忙しくて疲れているうえに夜眠れないのでつらくてつらくて。先生、治りますか?」

医師「治りますよ。ではあなたの手を見せて下さい。母指の付け根の筋肉が萎縮してますね」
(と言いながら手首を手のひら側に曲げて一分ほど保持して「どうですか?指先のしびれが強くなりませんか?初期のうちは必ずしもこのテストは陽性ではありませんが」

患者「だんだんとしびれが強くなってきました」

医師「では間違いありません。手首のところに一本炎症を押さえる注射をします。あなたは多分今晩から熟睡できますよ。これだけで当分良くなる人もありますが、しぱしぱ再発したり、症状の進んでいる人は手術をした方が良いでしょう」

患者「手術!先生、私は手術は怖いので嫌です」

医師「手術は簡単なものです。この病気の患者さんは十人に一人ぐらい手術しますが、ほとんど全例治癒しております」

患者「この苦しみから逃れることが出来るなら、この次は手術をお願いします」
協力 愛知県医師会



1999年2月21日

ドクターが勧めるお医者さん 

 

1992年12月16日

毎日新聞ホームドクター
「すこやかに」

手根管症候群

関節鏡

東海再見
タイヤ引き復帰へ走る
伊古部海岸(豊橋)

尾車浩一さん元大関琴風
左膝の靱帯を切断した時は正直言って、相撲人生をあきらめかけたね。79年1月の初場所5日目から3場所連続して休場した時だ。
関脇を経験し、大関候補に挙げられていた。けががひどくて本当に治るのか、不安だらけだった。焦りもあって落ち込んでいたら、愛知県豊橋市に住む後援者の柴田茂さんから市内の整形外科を紹介してもらった。「リハビリにじっくりと取り組んだらどうか」と。当時はわらにもすがる思いだった。

塩之谷昌院長や看護婦はじめ皆さんが励ましてくれた。院長先生の自宅に集まって一緒に食事をしたり、歌を歌ったり。周りが気を使ってくれて相撲の話は一切しなかった。だんだん気を取り直すことができ、みんなの思いにこたえないと罰が当たるな、
という気持ちが強くなった。伊古部の海岸は、院長先生が車で連れていってくれた。
「ひざの筋力を鍛えるには不安定な砂浜を歩くのが良い」と。最初は散歩するのが精いっぱいだった。砂浜を歩くと、じわっ、じわっとひざに負担がかかってくる。効いているのがすぐに分かって毎朝の日課にした。十分歩けるようになったら、チューブ
の入っていない古タイヤをロープで腰につないで走った。海岸を行ったり来たりして距離にして2キロくらい。暑くなく、半そでのポロシャツを着て走っていたから79年の5月ごろかな。タイヤの中に砂の重りを詰めて少しずつ負荷をかけていった。朝の
海岸は人気がなく、気分転換にもなった。実家の近くにある津市の阿漕浦海水浴場より、伊古部は思い出深いね。

リハビリのおかげで、その年7月の名古屋場所で復帰を果たすことができた。大関候補が幕下に転落していた。相撲の世界は番付社会だから、当たり前だけど苦しかった。食事時に飯をよそってもらう身から、よそう身に。ふろ場で背中をこすってもらう
身から、こする身になった。すべてが変わった。師匠(佐渡ヶ獄親方、元横綱琴桜)からは「これからが勝負。焦ってもしょうがない」とアドバイスを受けた。

大きな試練だったけど、見返したい気持ちが強かった。けがで相撲を取れないつらさより土俵の上で苦しんでいる方が良い、と開き直れた。当時は21から22歳。14歳で初土俵を踏んで順調に出世してきた時に挫折し、いろいろと勉強させてもらった。心身
ともにリフレッシュでき、大関まで昇進できたのに大きく影響したと思う。梅雨時の名古屋場所は、力士が一年のうちで体調に一番気を使う時期だ。暑いからと安易に冷たい食べ物を食べたり、クーラーで体を冷やしたりするとすぐに影響する。力士にと
って体は資本。暑い中、けいこを積んだ力士は人一倍たくましくなっている。名古屋場所では、その気迫を見てもらいたいですね。(構成・笠井正基)

名古屋場所を控えて、リハビリの時期を過ごした伊古部海岸に久しぷりにやってきた尾車親方=愛知県豊橋市で

リハビリ当時、伊古部海岸で古タイヤを引き終え、くつろぐ琴風(左)塩之谷昌さん提供


おぐるま・こういち 大相撲元大関琴風。津市出身、44歳。本名中山浩一。14歳の時、71年名古屋場所で初土俵。豪快ながぶり寄りでファンを引きつけ、81年秋場所で初優勝して大関に昇進した。83年初場所で2度目の賜杯。85年九州場所で引退、87年に
佐渡ヶ獄部屋より独立した。名古屋場所は宿舎のある愛知県豊橋市から新幹線で通う。分かりやすい解説でもおなじみだ。

伊古部海岸
愛知県豊橋市。遠州灘に面し、全長15キロに及ぶ表浜海岸の一部分。切り立ったがけが海岸ににせり出し、幅20メートルほどの浜辺が広がっている。波が荒く、海水浴は危ない。夏はサーファーや釣り人たちでにぎわう。

朝日新聞記事

尾車親方との交流

ストレス軽減 内視鏡手術 半月板損傷 塩之谷昌院長


直立2足歩行への進化によって、人類が手を自由に使えるようになったことが「正の側面」だとすれば、増大した足への負担は「負の側面」なのかも知れない。4本の足に分散していた体重を、2本の足で支えなければならないという身体構造上の大変化。足に集中した大きな負荷がもたらすさまざまな弊害は、ひざに最も顕著に現われることになった。
ひざ傷害の症例の大部分を占めるのが、半月板損傷だ。半月板は大腿骨と脛骨の間にある三日月形の軟骨で、衝撃を和らげる緩衝材の役目を果たしている。損傷した半月板は、以前は切開手術で除去するのが通常の治療方法とされていたが、塩之谷整形外科の塩之谷昌院長(65)は12年前、除去手術にいち早く内視鏡を導入。ひざに開けた小さな穴から内視鏡と『リニアパンチ』と呼ばれるはさみを入れ、患部を切り取る方法で1000人以上の患者を治療してきた。
半月板損傷は、スポーツの『運動中の過度の衝撃』によって起こるとされ、手術対象者のほとんどが若者だ。しかし、MRI(核磁気共鳴画像化装置)による診断で高齢者が訴えるひざの痛みも半月板損傷が一因になっていることが判ってきた。
従来、高齢者のひざの痛みは骨の変形だけが原因とされ、骨を切ったり人工関節を埋めたりする手術が主流だった。しかし、内視鏡手術ではひざに数の穴を開けるだけでよく、痛みが軽減される症例もある。塩之谷院長は60才以上の患者の内視鏡手術も年間25例以上手がけている。
症状次第では、麻酔も局所だけですんだり、その日のうちに帰宅できることに加え、「『体にメスをいれた』という感覚が少なく、精神的なストレスも少ない」と塩之谷院長は話す。
それでも、「体が資本」のスポーツ選手の中には、体内組織の一部を失うことに不安を訴えるものもいる。1979年の初場所で半月板を損傷、同院を訪れた琴風関(現尾車親方)もそんな一人だった。
琴風関の場合は手術が必要な状態だったが、塩之谷院長は「本人の希望と相撲取りとしての寿命を考えて」、手術をせず徹底的なリハビリをさせることを選択。ひざの周囲の筋力強化に加え、衝撃が軽減される砂浜でのトレーニングを指示した。2カ月の入院生活で琴風関のひざは完治し、大関に昇進することができた。
「痛みを取り除くことだけが医療ではない。患者の不安と置かれた状況を一緒に考えることが必要」という塩之谷院長の方針に基づいた治療だった。
塩之谷院長は豊橋市出身。金沢大学医学部を卒業後、名古屋大学医学部整形外科の助手を務めるなど、整形外科一筋。長女の香副院長も整形外科専門で関節鏡が得意。親子二人三脚で診療にあたる。


推薦人の一言 村地俊二・日本赤十字愛知短期大学長(77)
塩之谷さんとは、30年ほど前に名古屋大学医学部の整形外科で研究を共にした。豊橋市で地域医療に従事してからも、常に患者思いの診療に励む一方、積極的に先進療法を駆使してすばらしい業績を上げている。渥美地方の農民病と言われた指腱鞘炎やぎっくり腰の治療にも精通している。また、以前は琴風関の主治医としても知られていた。最近は、ひざの傷病の治療で大変な評判を得ていると聞いている。温かい人間味と優れた技術、労を惜しまない行動力を併せ持つ塩之谷さんは、整形外科地方医のかがみとして誇りに思っている。